代表紹介

お客様との打ち合わせをしたり窓口になるのは、
基本的に代表の馬場となり、公開後の運用も含めると
長いお付き合いになりますのでどんな人間か知って欲しいです。

初めまして、株式会社ビーシーソリューションの馬場宏と申します。当社は小さな会社で、お客様とのお打合せは基本的に私が担当させていただきます。ホームページを制作する際には、何度も顔を合わせてお打合せをすることになります。また、公開後のサポートも含めますと長いお付き合いになります。それだけ接することになるとお客様としてもどのような人間か気になると思います。当社設立に至る前の歩みや簡単なプロフィールを記載しましたので、是非ご一読いただけると幸いです。

パソコンとの出会い
~幼稚園の年長~

私が幼稚園の年長のとき、父親がNECのPC8001を買ってきました。NECのPC8001と言えば、日本におけるパーソナルコンピューターの先駆け的な存在で、知っている人にとっては「懐かしい~」と感じると思います。

当時の私は当然ですが、パソコンがどんなものなのかもさっぱり分からず、最初はこれ何だろう?くらいの感じでした。当時はインベーダーゲームが流行っている時代でしたが、パソコンでもっとシンプルなものですが、似たような感じでゲームを作れると知って、ゲームを作るための機械なんだ!と勘違いして理解していきました。

雑誌の名前は忘れましたが、父親が毎月買ってくるパソコン雑誌にゲームのプログラムが何ページかに渡って載っていて、それを真似して入力すると簡単なゲームが作れました。プログラム意味なんてさっぱり分かりませんでしたが、とにかくゲームがやりたくてアルファベットを覚えて、ポチポチ入力してゲームを作っていました。

しかし、1983年に任天堂からファミコンが発売されたことで、パソコンを使うことはめっきり減っていきました。

Macとの出会い
~大学1年~

次なる大きな出会いは大学1年のときで、兄がMacのLC630を買ってきました。世の中でWindows95の大ブームが起こる前のことです。これまた当時の私はMacってなに?このリンゴのマーク最近流行っているよね?くらいな感じでしたが、兄がMacすげーぞ!と言っているのを散々聞いて、気が付けばMacの虜になっていました。

昔を思い出してプログラムを少し書いてみたりもしましたが、表計算ソフトがあまりにも便利すぎて、やたらと表計算ソフトを使って管理したりしていました。ただWindows95発売以降は世の中がWindows一色になってしまって、大学のゼミで論文の提出がWordしか認められず、Macのクラリスワークスで作成してもファイルを開けないからダメ、なんで君はMacなんだ?と肩身が狭い思いをしました。

突然訪れる挫折
~プログラマーの素質がないことが判明~

父親と兄のおかげで、パソコンに関しては周りと比べると1歩2歩先を行くような感じを歩んできました。最初はもっとプログラムを極めて人の役に立つシステムを作りたい!と思って、SEでの就職を目指していました。なんたって幼稚園の年長からプログラムに触れてきたので、まさか自分に素質がないなんて微塵も考えていませんでした。しかし、面接の前にあるSEの適正検査みたいなもので2社連続でSEの適正はないと判断されて、「君はむしろ営業に向いているので営業なら採用します」と言われる事態に。

好きこそものの上手なれ、なんて言いますが、好きでも素質がないと言われガッカリしました。しかも、適性検査だけで。まあ、正直納得いかなかったです。なんせ自分ではむしろ営業はまったく向いていないと思っていましたから。お酒もめちゃくちゃ弱いですし。なので、営業になっても面白くないなと。完全にお先真っ暗でした。

新たな希望
~総務省でITのインフラ作り~

人の役に立つシステムを作るという目標を失い、なにを仕事にしようかと散々迷い、色々と調べた結果行きついたのが総務省でした。総務省は情報通信政策と郵政政策を担当していますが、世間では郵政民営化までは郵政政策しかやっていないイメージだったと思います。情報通信の政策としては、ITのインフラ整備やIT弱者を支援したりといったものがあり、ピンときました!

まだまだIT黎明期だったので、もっと広く、誰もがITの恩恵を受けられるようになる、そのための仕事ならシステム開発の仕事じゃなくてもやる気が出そうだ!と。ということで急遽公務員試験を受けて総務省に入省しました。

ストレス発散
~初めてのホームページ作成~

入省してみて分かったのは、とにかく労働時間が長い。平日の残業と土日の出勤だけで200時間を超えるのはザラでした。今振り返っても、あの生活は2度とできないと思います。本当にきつかったです。その頃の楽しみと言えば、たまーに取れる休みに彼女(現在の妻)と旅行に行くこと。39度以上の熱がありながら始発で仕事から帰ってきて、その足で羽田空港に行って金沢で1泊2日の旅行をしたこともありました。

過労でストレスが溜まって行ったときに、なぜかふとホームページを作ろう!って思ったのです。今まで色々行ってきた旅行で楽しかった場所、良かった施設などを紹介しようと。たしか2001年のことです。ただでさえ少ない睡眠時間を削って、初めてのホームページを作りました。当時はまだホームページの数が少なかったので、思った以上に閲覧されていて、「私も行ってみようと思います!」なんてコメントが来てテンションが上がっていたのを覚えています。

マーケティングとの出会い
~変人と言われた転職~

まあそのご色々とすったもんだがあったり、思うところがあって転職することになりました。普通に公務員をやっていたら転職が難しかったと思いますが、小さい頃からプログラムやITに触れていたことで郵政民営化に伴うシステム刷新の担当に抜擢されて、最後の数年間は仕事をしていました。

そのおかげで、不動産デベロッパーの社内システム担当として転職できました。当時は会社が一部上場を目指していて、それに向けてシステムやWEBを見直すという一大プロジェクトが控えていて、やりがいのある仕事だと思っていました。

しかしそれ以上に有意義な出会いが待っていました。それはマーケティング。公務員時代にはまったく関係ありませんでしたが、大学は商学部でマーケティングは面白かった思い出があったのですが、不動産事業での活きたマーケティングは本当に面白かったですし、なるほど~と思うことの連続でした。システム部門なので直接マーケティングに携わることはありませんでしたが、この物件はマーケティングの結果、こういうコンセプトでこういう人に購入してもらえるように、こんなキャッチコピーで売り出している、みたいな話が物件ごとに聞けたのです。

システム部門としてもマーケティング部のシステム改修をたまたま担当できたので、より詳しくマーケティングに関わることができて、本当に楽しく感じました。

WEBに関しては、中古物件の売買をするホームページの改善や運用を担当部署と一緒にやることになったり、コーポレートサイトの見直しをする中でホームページ制作会社と密に関わり合うことになりました。郵政民営化対応のときも含めて、発注者としてホームページ制作会社に感じることが多々あり、このときに感じたことが今の会社のあり方に大きく影響しています。

風雲急を告げる
~リーマンショック~

充実の日々が続いていましたが、忘れもしないリーマンショックが起こりました。不動産デベロッパーは大打撃を受けましたから。一部上場どころか、私的整理で大手不動産デベロッパーの傘下に入ることになりました。本当に人生はいつなんどき、なにが起こるか分かりません。

グループ会社は売却されてしまったり、社員も半数以上が整理対象になりました。私は幸い残る選択肢を提示してもらえましたが、プロパー社員ではないことで色々あって、再度の転職に踏み切りました。この転職によって事業会社のシステム部門、つまり発注側から制作側に立場を変えることになりました。

転職先は知り合いの知り合いが経営するシステムとWEBの会社。数十人規模の会社でしたが、大手SIerのもとでの超大規模プロジェクトや大手百貨店のWEBプロジェクトなどを手掛けており、制作側として有意義な経験をすることができました。


起業
~あらたな人生の始まり~

前職の社長から、「馬場さんはもう起業してください!」と言われ、2013年4月に当社を創業しました。

思えば国家公務員という安定した職業から始まり、その真逆とも言えるような起業に、しみじみと「人生いろいろ。何があるか分からないし、何が良いかも結果的に分からない。」と感じたものです。起業後は出会った人に「頭大丈夫ですか?」「勿体ない、安定した人生を棒に振って」とか散々なことを言われることもありました。でも、後悔はしていないですし、いろんな意味でこれまで自分が経験してきたことをもとに、もっと良いサービスが提供できると思って起業しました。

現在はWEB事業だけですが、システム開発でもいろいろな体験をしてきて、改善したいと思っていることがあります。なので、システム開発事業も手掛けたいと考えています。今はまずは一番不満が大きかったWEB事業に特化して、お客様が安心して任せられる会社になるべく、日々努力と工夫を重ねて着実に前進していければと考えています。

代表略歴

1999年早稲田大学商学部卒業
2000年総務省入省(日本郵政公社出向含む) 情報通信政策、郵政民営化IT・WEB刷新PJを担当
2009年株式会社コスモスイニシア転職 社内IT・WEBの開発運用を担当
2013年当社設立

プロフィール

1975年生まれ、妻、息子と娘の4人家族。コロナ禍に運動不足が祟ったのか右肩が四十肩になる。右肩の四十肩が治る前に、左肩も四十肩になる。近年の悩みはマンションの前にある林から飛んでくる大量のクサギカメムシ。あとオンライン会議が多いこと。人付き合いはアナログ派なので、直接会って話せる方が好きです。

好きなスポーツ

・野球(小学1年からリトルリーグ(硬式野球)のチームに入ってました)
・ハンドボール(高校3年間、マツヤニの臭いニオイと共に青春を過ごしました)
・スキー(高校3年で上級のコブを滑れるようになって卒業)
・スノボー(大学時代から20代は明け暮れてました)

趣味

・温泉旅行(温泉と美味しいご飯最高!)
・ゲーム(3Dゲームは酔うので2D限定)
・読書(日本の歴史ものが多いですが、いろんなジャンル読みます)
・勉強(マーケティング、コピーライティング)

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